渡邊むく俳句ブログ~まあおたいらに~渡邊むく俳句ブログ~まあおたいらに~ 秀句鑑賞:秋の季語
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雪渓の細き一条富士の紺

秀句鑑賞-秋の季語: 山粧う

2013/11/19 Tue

November 19 2013

杉本艸舟

 よそほひて名山しのぐ雑木山

 菜園で汗を流した後、近くの公園内を歩いた。元は旧陸軍の練兵場だったという広い公園内には、本格的な陸上競技場や幾つかのアリーナ、野球場、十面近いテニスコートなどもある。並木の大欅が、銀杏が、植込みのドウダンが、みな紅葉している。横須賀の街がこれほど美しかったかと思う。神宮外苑にだって負けていない。掲句の「名山しのぐ雑木山」は誇張ではなく、実感として共鳴できる。日本中のどの町も村も美しく変貌させてしまう春の桜、秋の紅葉は、まさに「粧い」。(渡邊むく)

 【杉本艸舟(すぎもと・そうしゅう):昭和23年(1948年)奈良県生まれ。『ぶどうの木』主宰。『狩』同人。『月刊俳句界』2013年11月号より。】



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秀句鑑賞-秋の季語: 茸(きのこ)

2013/11/18 Mon

November 18 2013

青柳志解樹

 毒きのこ茸図鑑をあざ笑ふ

 突然サイケデリックに飾られた部屋に案内されたように面喰ってしまった掲句。はて…と理解に努めているうちに、「毒きのこ」とは、きのこ雲を作りだし大気や海に放射能を撒き散らしても平然としているような、人間の「狂気」のことではないだろうかと思い至る。図鑑から得られる知識はパターン化された常識。原子力事故のリスク評価も、新たな未来を切り開く叡智さえも全てパターン化された常識にばかり求めるような、人間の浅はかな側面のことではないだろうか、と。そう思うと、掲句からは、作者の哀しい怒りが人類に対する毒きのこの嘲笑となって聞こえてくる。ふと、ピンクフロイドというロックバンドが1970年代に出したアルバム“The dark side of the moon”(狂気)を思い出す。“Brain Damage”(脳損傷)という歌の「…狂人が僕の頭の中にいる」というフレーズがあった。(渡邊むく)

 【青柳志解樹(あおやぎ・しげき):昭和4年(1929年)長野県生まれ。『山暦』、『植物文化の会』主宰。『月刊俳句界』2013年11月号より。】



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秀句鑑賞-秋の季語: 団栗(どんぐり)

2013/11/17 Sun

November 17 2013

杉本艸舟

 団栗どんぐりや踏まれてからの底力

 この秋二度どんぐりを踏んだ。反発係数のことを考えたりもしたが、科学や数学の話は止めよう。作者が思っているのは、感情の動物である人間の心の弾力性である。底の硬い革靴でどんぐりを踏む。素足でどんぐりを踏む。革靴と素足では、足裏に感じる踏まれた団栗の反発力が全く違う。作者は素足のような柔らかい心でどんぐりを踏んだ。原始の心で、物質偏重の現代文明の歪みを痛いほどに感じたのだ。(渡邊むく)

 【杉本艸舟(すぎもと・そうしゅう):昭和23年(1948年)奈良県生まれ。『ぶどうの木』主宰。『狩』同人。『月刊俳句界』2013年11月号より。】



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秋の季語: 花煙草(はなたばこ)

2013/11/05 Tue

November 5 2013

柏原眠雨

 蔵王嶺ざおうねの半ばは雲に花煙草たばこ

 摘花するので、花タバコが見られるのは初秋のほんの一時。花は可憐だが草丈は大人の背丈以上にもなる。園芸種とは異なる。作者は仙台を拠点とする結社の主宰。掲句は仙南地方の景か。一面のひまわり畑に立っているような気持の良い詩だ。「花は霧島たばこは国分」は鹿児島小原節だが、東北地方でもタバコ栽培は古くから盛んだった。子供の頃、畑や庭先に長々と張った縄の撚り目にタバコの葉を一枚一枚挟んで吊るし、乾燥させているのをよく見かけた。喫煙がマイナーになるにつれ、タバコ栽培も衰退してゆくのだろう。(渡邊むく)

 【柏原眠雨(かしわばら・みんう):昭和10年(1935年)東京生まれ。『きたごち』主宰。神葱雨、澤木欣一に師事。『月刊俳句界』2013年11月号より。】



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秀句鑑賞-秋の季語: 案山子(かかし、かがし)

2013/10/11 Fri

October 11 2013

与謝蕪村

 秋風の動かして行く案山子かな

 宝暦十年(1760年)秋、一緒に筑紫へ旅に出ないかという雲裡坊青飯(うんりぼうせいはん)の誘いを蕪村は断った。掲句は旅立つ雲裡坊への“はなむけ”。すでに六十路の雲裡坊に対して、蕪村は案山子に託し、秋風に心動かされはするものの行くことができず、口惜しい限りでお見送りします(どうぞお達者で)と詠んでいるのだ。この年蕪村は四十五歳。谷氏を捨てて釈氏の出家僧だったが既に還俗していたようで、与謝氏を名乗っている。二十歳年下のとも女と結婚したのもこの年。画業も忙しかったようだが、雲裡坊の誘いを断ったのは結婚を控えていたためでもあっただろうか。(渡邊むく)

 【与謝蕪村(よさ・ぶそん):享保元年(1716年)-天明3年12月25日(1784年1月17日)。摂津国東成郡毛馬村(せっつのくに ひがしなりごおり けまむら)(現大阪市都島区毛馬町)生まれ。】《参照》高橋庄次著『蕪村伝記考説』(春秋社)



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秀句鑑賞-秋の季語: 露(つゆ)

2013/10/10 Thu

October 10 2013

小林一茶

 白露しらつゆやあらゆる罪の消ゆるほど

 季題は露で秋。言わずもがなだが、掲句には仏教の考え方が背景にある。「罪」とは十悪五逆と呼ばれる仏に対する罪。身口意の三業にわたって前世で犯した罪で、薄幸の生を受けるのもその報いであり、現生において善根を積めば罪障が消えて来世では報われるという因果応報の理法である。江戸時代後期の人一茶にも、当然このような考え方はあった。田辺聖子作の小説「ひねくれ一茶」では、掲句が病弱ではかない生涯を終えた一茶の「初恋の人」の墓前に手向けられる。句の挿入が効果的で、読んでジンとくる場面だ。その墓は神奈川県横須賀市浦賀の専福寺に“あった”が、今は不明になっている。当時、浦賀は干鰯(ほしか)で栄え政治上も重要な港町で、江戸にも影響を及ぼすほど俳諧が盛んだった。一茶も何度か足を運んでいる。(渡邊むく)

 【小林一茶(こばやし・いっさ):宝暦13年(1763年)-文政10年(1828年)。長野県北国街道柏原宿(現上水内郡信濃町)生まれ。】



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秀句鑑賞-秋の季語: とろろ汁

2013/10/09 Wed

October 9 2013

小林一茶

 擂粉木すりこぎで蠅を追ひけりとろろ汁

 季題はとろろ汁で秋。句座が終わって、亭主のご内儀が“おらが師匠”一茶先生に振舞うとろろ汁を擂っている。擂り鉢に寄ってくる蠅がうるさい。ご内儀がそれを擂粉木で追い払っているという光景。遠路はるばるお出でくださったお師匠さんをもてなすとろろ芋を一生懸命擂る人と、それを見ている一茶の、蠅に対するそれぞれの思いは同じではない。そこに可笑しみがある。一茶流の感謝の念も看て取れる。所作をしっかり見られていたことのバツの悪さに苦笑しながらも、大切な記念と、ご内儀は句を書にしたためてもらう。参照:田辺聖子作小説「ひねくれ一茶」。(渡邊むく)

 【小林一茶(こばやし・いっさ):宝暦13年(1763年)-文政10年(1828年)。長野県北国街道柏原宿(現上水内郡信濃町)生まれ。】



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秀句鑑賞-秋の季語: 霧(きり)

2013/10/06 Sun

October 6 2013

高浜虚子

 霧いかに深くとも嵐強くとも

 季題は霧で秋。灯台守の半生を描いた映画「喜びも悲しみも幾年月」(木下恵介監督)を思い出す一句だが、映画が作られたのは昭和36年(1961年)。掲句は、虚子が昭和23年(1948年)に観音崎(神奈川県横須賀市)を訪れた時に詠んだ。観音崎灯台に、その年に建立された掲句の碑がある。同年、洋式灯台としては日本で最も古い同灯台の八十周年記念式典が行われ、灯台の所轄官庁となる海上保安庁もその年に設立された。その初代長官大久保武雄(橙青)は虚子の門人。虚子の句碑と並んで、観音崎灯台の百周年を記念して昭和43年(1968)に建てられた「汽笛吹けば霧笛答える別れかな/橙青」の句碑がある。(渡邊むく)

 【高浜虚子(たかはま・きょし):明治7年(1874)-昭和34年(1959)。愛媛県松山市生まれ。】



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秀句鑑賞-秋の季語: こおろぎ

2013/10/05 Sat

October 5 2013

種田山頭火

 酔うてこほろぎと寝てゐたよ

 季題はこおろぎで秋。普通、人間が安心できるのは旅先ではなく家庭であるから、旅は日常からの逃避などではなく大いなる冒険である。逃避とは安心な場所に身を置こうとしたり、難しいことを避けようとすること。未知の世界に踏み込むのは冒険である。そして人は、逃避心と冒険心の両方を持って生きている。乞食(こつじき)の怪しい僧形で放浪の旅に明け暮れた山頭火は、前人未踏の原野に等しい自由律俳句という表現を追求し抜いた、勇気ある言葉の冒険者だった。(渡邊むく)

 【種田山頭火(たねだ・さんとうか):明治15年(1882年)-昭和15年(1940)。山口県佐波郡(現防府市)生まれ。】



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プロフィール

渡邊むく

Author:渡邊むく
産業技術英語通訳・翻訳者。男性。岩手県生まれ宮城県育ち。人生の大半は首都圏暮し。海外生活約10年。俳句歴:2000年より。主な発信地:神奈川県横須賀市、山梨県山中湖村。

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