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秀句鑑賞-秋の季語: 花すすき

2015/09/01 Tue

September 1 2015

花すゝきひと夜はなびけむさし坊  与謝蕪村


 【句意】
 そこにいる女(性)は “色は匂へ”と風になびいている花すすき。
 一晩ぐらいなびいてもいいじゃないか。
 武蔵坊弁慶のようなお堅い御坊よ。

 【鑑賞の手引】
 この句には、『弁慶の図賛』という蕪村自身による“解説”(七つ道具を背負った弁慶の袖を辻君が引いている絵に賛したもの)がある。

 〔余むかしはじめて京うちまゐりしけるに、月しろき夜鴨河の流れに沿ひつつ、二条を北のかたへ吟行しけるに、
 色黒くたけたかき法師のすみのころもまくりでにして、あづまぶりの小うた声をかしくうたひ行く有りけるに、
 堤のもとより辻君とおぼしきが、つとはしり出でてたもとひかへ、
 「いとこゝろにくき御有さまかな、我がやどの草の枕、露ばかりのいとまを、などていとひ給ひそ、無下にはえこそ過しまゐらせじ」
 と、月におもてをそむけてうちほのめきければ、
 「ひが目にも見給ひつるものかな、
 我は比枝の西塔何がし坊に、坂東太郎と呼ばれたる顕蜜の法師なり。
 さあるたとき仏の御弟子をいかにけがし奉らんや。
 かしこくもゆるしたばせ」とひたわびにわびれども、とかくうけひかざりければ、法師今はとて、だみたる声うちあらゝげて、
 「なんだ弁慶、理しらぬ奇異のくせものよ」
 と、やがて袖打ちはらひて、力足どどとふみならし、たゞはしりにはしりける。
 いと尊くをかしければ、梅翁が風格にならひて〕

 ≪現代語訳≫
 私がかつて初めて京に上った時、
 月の明るい夜に鴨川の流れに沿いながら、二条通りから北へ向って句を考えながら歩いていくと、
 色が黒くて背の高い法師が墨染の衣を腕まくりして、江戸ふうの小唄をよい声で歌い行く姿があったところに、
 堤のほうから夜鷹と思われる女(性)がさっと走り出てきて(法師の)たもとを押さえ、
 「大そう奥ゆかしいご様子ですこと、
 私の宿で仮寝をして、ほんの少しのお暇を過ごすのを、どうぞお嫌いなさいますな、
 簡単にここを通しはしませんことよ」
 と、月の光から顔を背けるようにしてささやきかけると、
 (法師が)「見損なったものよ、我は比叡山延暦寺の西塔これこれの坊に居て、坂東太郎と呼ばれる顕・蜜の二教に通じた学僧だ。
 そのような尊い仏の御弟子をどうして汚してよいものであろうか。
 勘弁してここを通してくだされ」
 とひたすら言葉を尽くして詫びたけれども、何のかのと(女性が)承知しなかったので、
 法師はもはやこれまでと、東国訛りの大声を荒々しく張り上げて、
 「なんだ弁慶道理(涙弁慶=辻君が哀れに誘ったので“泣いて勝ちを制する”[泣き落とし]にかけた)も知らぬ奇妙な怪物よ」
 と、そのまま袖を打ち払って、どしどしと力足を踏んで、ひた走りに走って逃げていった。
 とても珍しくまた面白かったので、梅翁(西山宗因)の(「いろはにほへの字形の薄哉」)の発句の趣に倣って(この句を詠んだ)。

 参照:穎原退三著『蕪村全集』(有明堂:廃刊)。

 【与謝蕪村(よさ・ぶそん):享保元年(1716年)-天明3年12月25日(1784年1月17日)。摂津国東成郡毛馬村(せっつのくに ひがしなりごおり けまむら)(現大阪市都島区毛馬町)生まれ。】

 忘備録:古いwebsiteに書いたものを再掲。




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Author:渡邊むく
職業:産業技術英語通訳・翻訳者。男性。俳句歴:2000年より。(主な発信地:神奈川県横須賀市、静岡県御殿場市)

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