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雪渓の細き一条富士の紺

寒林

2018/12/08 Sat

    富士へ続く寒林鹿の斃れをり /むく

        (ふじへつづくかんりん しかのたおれおり)



 寒林 (2018.12.1 山中湖:山梨県)


 鹿の霊獣化

 縄文時代(約14000年前~紀元前4世紀頃)については、学問的に不明なことも多いようだ。
 縄文人についても、近年はDNAや染色体に基づく研究が活発になり、従来考えられてきた学説にも影響を与えるようになった。
 が、縄文時代の日本に住んでいた人々の暮らしが狩猟に拠っていたとする説が一般的であることには変わりがない。
 
 稲作は縄文時代末期頃に大陸から伝来したものだと言う。
 それによって、鹿や猪の狩猟を中心としていた縄文時代の人々の生活基盤は、水稲農耕へと大きく変化した。
 縄文時代と弥生時代(紀元前4世紀頃~紀元後3世紀中頃)を文化的に区別する最大の特色が、この変化であるようだ。
 とは言え、大して知識もない考古学や古代史の話をしたいのではない。

 鹿は、縄文時代には単なる狩猟の対象であった。
 弥生時代になると、その鹿を「霊獣」視する傾向が顕著になってゆく。
 つまり、狩猟文化から水稲農耕文化に変化するにつれて、鹿が「神の遣い」になっっていったようなのだ。

 狩猟文化から農耕文化への変化は、非定住生活から定住生活への変化をもたらした。
 つまり稲作が普及した弥生時代は、耕作のために人々が一所に定住するようになった時代とも言えようか。
 それとともに、農耕中心の生活は(狩猟中心の生活に比べ)より多くの人々によるより大きな集落の形成をもたらした。
 さらに、耕作の効率化を求めて共同作業も活発に行われるようになった、と考えられる。

 弥生時代は、やがて古墳時代(3世紀中頃~7世紀頃)へと発展してゆく。
 古墳時代(かつての歴史教育では「大和時代」とも称されていた)は、いわゆる古代国家が生まれた時代である。
 古代史的な話は端折るが、要は、水稲農耕の普及こそが、古代国家を形成せしめた最大の背景であろうかと思われる。
 そして、古代国家は稲作を最大の税収源として発展した(少し論理が飛躍するが)。

 ちょっとひねくれた想像を膨らませてみたい。
 税収の増加を計って強大で盤石な国家を造りたいと為政者が考えるのは、今も昔も変わらない。
 古代国家の為政者は、人々に狩猟を捨て稲作に励むことを奨励した。
 鹿を神の遣いとする考え方はもともと存在していたにせよ、為政者はそれを稲作奨励の口実として積極的に利用した。
 鹿を霊獣視する思想が広まっていった背景には、このような政治的な側面が大いにあったと思われるのである。

 霊獣は鹿に限らない。
 熊、牛、その他、世々の人々は生きとし生けるものに霊性を与えていった。
 一方で、食料が乏しければいつでも霊獣をも食することを辞さないのが人間である。
 いつの時代も、人間は原始性と文明性の狭間で生きている。

 だいぶ大言壮語してしまった。
 この富士の寒林が終の棲家になるかどうかは不明だが、斃れた鹿のように、昨今ますます草食化してきた私である。


 (2018年12月8日 山中湖にて)


 ご訪問ありがとうございました。


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テーマ : 詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など
ジャンル : 学問・文化・芸術

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プロフィール

渡邊むく

Author:渡邊むく
産業技術英語通訳・翻訳者。男性。岩手県生まれ宮城県育ち。人生の大半は首都圏暮し。海外生活約10年。俳句歴:2000年より。主な発信地:神奈川県横須賀市、山梨県山中湖村。

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