富士初雪落葉松の大金屏風

薄あじさい

2014/05/26 Mon

 赤ちゃんの握りこぶしのようなアジサイの蕾
 蕾が覗き始めると、その咲き初むる日を見逃すまいと、目にするたびに覗き込んだりします。


2014/05/25 薄あじさい(くりはま花の国:神奈川県横須賀市)
 2014/05/25 薄あじさい(くりはま花の国:神奈川県横須賀市)

 蕾は開くにしたがって緑から白に色が変わっていきます。

2014/05/25 薄あじさい(くりはま花の国:神奈川県横須賀市)
 2014/05/25 薄あじさい(くりはま花の国:神奈川県横須賀市)

 開いた花弁は先端部分から紫を帯び、いわゆる薄あじさいに。

2014/05/25 薄あじさい(くりはま花の国:神奈川県横須賀市)
 2014/05/25 薄あじさい(くりはま花の国:神奈川県横須賀市)

 紫陽花のこの過程の瑞々しい美しさは、また格別ですね。

2014/05/25 薄あじさい(くりはま花の国:神奈川県横須賀市)
 2014/05/25 薄あじさい(くりはま花の国:神奈川県横須賀市)

 濃(こ)あじさいは普通よりも色の濃い、深い赤紫の花のことを言うのだと思いますが、薄あじさいは単に(濃あじさいとは逆の)色の淡い紫陽花という意味ではなく、満開になる途中にある花のことだと思います。
 そのプロセスに季節感を込めた言葉とも言えるでしょうか。

 「濃あじさい」、「薄あじさい」が季語に加わった経緯は知りません。
 けれども、俳句が…とまで限定はしなくても、どちらも短詩が生んだ美しい日本の季節の言葉と言えるのではないでしょうか。

 俳句で大切とされることの一つに「季題(=季語)の本意本情」ということがあります。
 言い換えれば「その季語が本来具えている趣き」ということになるでしょうか。
 例を挙げると、五月の盛りのバラ、秋に咲くバラ、冬のバラは、それぞれに印象が異なるということです。

 季題の本意本情を考えず、それに添わない詠み方をすると、なんだか落ち着きの悪い俳句になってしまいます。
 鑑賞してくださる人の気持ちを端から無視してかかるようなもので、共感を得ることが難しくなります。

 反対に、季題が持つ本意本情を上手に活用すれば、たった十七文字の詩が宇宙大の世界にも拡がるという訳です。
 季語はたくさんあります。
 その季語を上手に選んで利用する、季語の力を借りて詩の世界を大きく豊かなものにする、というのが「季題を大切に」と言われる所以であり、これを「季題に語らせる」と言ったりもします。
 こう考えると、季語は制約でも束縛でもなく、ただただ便利この上ない重宝なものということになります。

 と、言うは易く行うは難しではありますが。




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テーマ : 季節の風景
ジャンル : 写真

コメント

Secret

紫陽花の季節がきましたね

いつも、コメントありがとうございます。

紫陽花の花が色づき始めましたね。

田端にお住まいだったことがおありなのですね。
おたまは、結婚してからこちらに来ましたので、都電電車がこのあたりを走っていたことは知りません。

むく様は、俳句界だけの投句でしょうか?
おたまは、今、投句雑誌をリサーチ中です。
先日、NHKの俳句プロデューサーの一人様にお会いしたとき、HNKには5000句の投句があると伺いました。5000句と伺って、既に尻込みしています。出来るだけ少ない人数の雑誌。それでいて、記事内容が豊かで・・・、おたまは欲張りです。このような条件を満たす雑誌があれば教えてくださいませ。

No title

もうそろそろ
紫陽花の開花シーズン
楽しみです♪

きのうはヒメオウギの名前を
教えてくださってありがとうございました^^

Re: 紫陽花の季節がきましたね

おたま様

コメントありがとうございます。
欲張り…大いに結構だと思います。
ブログから、俳句と真剣に向き合っていらっしゃる方だなぁ…という印象を強く受けましたし。
俳句雑誌、あれこれたくさん購読するのも大変なので、私は「俳句界」一本です。
なぜ「俳句界」に絞ったか、という理由はあります。
姜琪東(カンキドン)さんの経営姿勢が良いと思ったからです。
経営姿勢とは、単に事業家としてという意味ではなく、俳句雑誌の出版という文化的事業を経営する姿勢という意味です。
姜琪東氏自身俳人ですが、雑誌出版にあたっては固定観念に囚われず、俳壇への遠慮から取り上げにくいようなこともどんどん取り上げる人、と思って見ています。
ここ三ヶ月ほどの特集(俳句三協会の座談会、結社の高齢化問題、旧かな・新かな問題)は特に面白いと思いました。
かねがね、三協会にNHKや角川書店なども加わってが「合同新歳時記」刊行に取り組んだらどうか、などと思っているので。
ブログなど、インターネットだけで俳句を発信するのはまだまだ確立された方法とは言えないかもしれませんが、芭蕉や虚子の時代にはなかったメディアです。
句集を書籍として出版しないと俳人とは言えないということもなくなってきたのではないか、などと思ったりもします。
本が「不易」でインターネットは「流行」?
ならば、どちらも意義が大きい、ということでしょうか。
恐々。

Re: No title

ヒメオウギって、良い名前ですね。
名前で得する花、損する花もありますね。
プロフィール

渡邊むく

Author:渡邊むく
職業:産業技術英語通訳・翻訳者。男性。岩手県生まれ宮城県育ち。俳句歴:2000年より。主な発信地:神奈川県横須賀市、静岡県御殿場市。

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