花眼白(はなめじろ)
2018/03/14 Wed
頭ちょと黄な粉にまみれ花眼白 /むく
(つむりちょときなこにまみれ はなめじろ)
「花眼白」は苦し紛れの造語。
メジロ(眼白、目白)は、それを夏の季語とする歳時記が現れるまで、秋の季語とされてきた。
今は、メジロを秋の季語とする歳時記と夏の季語とする歳時記が混在しているようだ。
しかし、それは歳時記の混乱に過ぎず、留鳥であるメジロは夏・秋に限らず一年を通して見ることが出来る。
俳句にも、春夏秋冬それぞれに詠まれている。
梅汚れ番の目白来ずなりぬ /高澤良一 (梅:春)
見えかくれ居て花こぼす眼白かな /富安風生 (花:春)
三井寺の門にかけたり眼白籠 /松瀬青々 (眼白籠:夏)
一寸留守眼白落しに行かれけん /高浜虚子 (眼白落とし:夏)
いまはただ眼白の鳴ける霧の木々 /水原秋櫻子 (霧:秋)
日だまりの熟柿に来るやみな眼白 /大峯あきら (熟柿:秋)
南天の実をこぼしたる目白かな /正岡子規 (南天:冬)
一羽見えてより枯枝の眼白たち /野澤節子 (枯枝:冬)
昨今は動物愛護の考え方が定着してきた。
平和と豊かさの証であり、喜ばしいことだと思っている。
「眼白籠」や「眼白落とし」は「眼白捕り」の言い換えであるが、個人による野鳥の捕獲が禁止された現在は、使えなくなったか、少なくとも使いにくい季語になったとは言えるだろう。
「眼白落とし」という言葉などは、聞いたことすらない人が多くなったのではないかと思う。
ご訪問ありがとうございました。
(つむりちょときなこにまみれ はなめじろ)
「花眼白」は苦し紛れの造語。
メジロ(眼白、目白)は、それを夏の季語とする歳時記が現れるまで、秋の季語とされてきた。
今は、メジロを秋の季語とする歳時記と夏の季語とする歳時記が混在しているようだ。
しかし、それは歳時記の混乱に過ぎず、留鳥であるメジロは夏・秋に限らず一年を通して見ることが出来る。
俳句にも、春夏秋冬それぞれに詠まれている。
梅汚れ番の目白来ずなりぬ /高澤良一 (梅:春)
見えかくれ居て花こぼす眼白かな /富安風生 (花:春)
三井寺の門にかけたり眼白籠 /松瀬青々 (眼白籠:夏)
一寸留守眼白落しに行かれけん /高浜虚子 (眼白落とし:夏)
いまはただ眼白の鳴ける霧の木々 /水原秋櫻子 (霧:秋)
日だまりの熟柿に来るやみな眼白 /大峯あきら (熟柿:秋)
南天の実をこぼしたる目白かな /正岡子規 (南天:冬)
一羽見えてより枯枝の眼白たち /野澤節子 (枯枝:冬)
昨今は動物愛護の考え方が定着してきた。
平和と豊かさの証であり、喜ばしいことだと思っている。
「眼白籠」や「眼白落とし」は「眼白捕り」の言い換えであるが、個人による野鳥の捕獲が禁止された現在は、使えなくなったか、少なくとも使いにくい季語になったとは言えるだろう。
「眼白落とし」という言葉などは、聞いたことすらない人が多くなったのではないかと思う。
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ジャンル : 学問・文化・芸術
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