秀句鑑賞-夏の季語: 蝸牛(かたつむり)
2017/06/21 Wed
June 21
2017
甲斐遊糸
老いてゆく驚きの日々かたつむり
紫式部も光源氏をして「さかさまに行かぬ年月よ、老いはえ逃れられぬわざなり」(源氏物語:若菜下)と嘆かしめているように、私たちは老いも死も避けられないものだと知って生きている。しかし、現実に老いを実感した時の落胆がそんな知識によって克服できるものではないことは、芭蕉に「この秋は何で年寄る雲に鳥」の句がある通りである。掲句にはその芭蕉の句を本歌取りした感が漂う。「何で年寄る」を一歩踏み込んで「おどろきの日々」と詠んだ作者の素直な感性は質が高い。老化にも段階があるが、作者は初めて老いを自覚しておどろいているのではなく、老化が進んだことにおどろいて(みせて)いるのだろう。かたつむりという自嘲的な比喩は、裏返せば、作者にはまだまだ心に余裕があり強い自負があることを語っている。老いを自らも受け容れ他者にも語ってゆく心の過程はデリケートなものだ。(渡邊むく)
【甲斐遊糸(かい・ゆうし):昭和15年(1940年)、東京生まれ。大野林火に師事。「湧」主宰。富士宮市在住。『紅葉晴』(角川書店)】
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甲斐遊糸
老いてゆく驚きの日々かたつむり
紫式部も光源氏をして「さかさまに行かぬ年月よ、老いはえ逃れられぬわざなり」(源氏物語:若菜下)と嘆かしめているように、私たちは老いも死も避けられないものだと知って生きている。しかし、現実に老いを実感した時の落胆がそんな知識によって克服できるものではないことは、芭蕉に「この秋は何で年寄る雲に鳥」の句がある通りである。掲句にはその芭蕉の句を本歌取りした感が漂う。「何で年寄る」を一歩踏み込んで「おどろきの日々」と詠んだ作者の素直な感性は質が高い。老化にも段階があるが、作者は初めて老いを自覚しておどろいているのではなく、老化が進んだことにおどろいて(みせて)いるのだろう。かたつむりという自嘲的な比喩は、裏返せば、作者にはまだまだ心に余裕があり強い自負があることを語っている。老いを自らも受け容れ他者にも語ってゆく心の過程はデリケートなものだ。(渡邊むく)
【甲斐遊糸(かい・ゆうし):昭和15年(1940年)、東京生まれ。大野林火に師事。「湧」主宰。富士宮市在住。『紅葉晴』(角川書店)】
カネやモノでなく、未来の大人たちに豊かな心の大切さを伝えられる私たちに。(渡邊むく)

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テーマ : 詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など
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