渡邊むく俳句ブログ~まあおたいらに~渡邊むく俳句ブログ~まあおたいらに~ 2018年10月
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雪渓の細き一条富士の紺

身に入む(身に沁む)

2018/10/21 Sun

    身に入むや数へきれないほど転居 /むく

        (みにしむや かぞえきれないほどてんきょ)

 追記: 元の句「身に入むや数へきれない宿替り」を推敲。(2018.10.23)



 ツリバナマユミの実 (2018.10.20 十里木高原:静岡県)


 24回目?

 隣の芝生は青いと言う。
 山中湖の今の寓居から、すぐ隣のリゾートマンションに引っ越すことにした。

 仮庵を御殿場から山中湖に越したのは今年4月。
 仮の住居とは言え、住んで半年してまた引っ越しというのは初めてかもしれない。
 「え、またですか?」と言われるたびに、「はい、ビョーキですから」と開き直っている。

 実際、引っ越し病も立派なひとつの病気かもしれない。
 ガンコちゃんには、「今度こそ、これが最後」と、同じ言葉を何回繰り返してきたことだろう。
 彼女の分析によれば、私はどこに住んでも3年で飽きるのだそうだ。
 私自身は、住み飽きたから引っ越した自覚はまったくない。
 これまでに住んだどの場所もかけがえなく愛おしい。
 …だから病気なのかもしれない。

 すぐ隣に引っ越すのは、山中湖のこの辺りの場所が本当に気に入ったから。
 今度こそ、これが最後。

    野ざらしを心に風のしむ身かな /芭蕉



 富士澄む (2018.10.21 山中湖:山梨県)


 (2018年10月21日 山中湖にて)


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秋刀魚(さんま)

2018/10/19 Fri

    秋刀魚買ふと言ひ行きし妻買はで来し

        (さんまかうといいゆきしつま かわできし)


    新さんま明日は生ごみ収集日

        (しんさんま あすはなまごみしゅうしゅうび)

 追記: 元の句「秋刀魚焼く明日は生ごみ収集日」を推敲。(2018.10.23)


    一年に一度の出番さんま皿 /むく

        (いちねんにいちどのでばん さんまざら)



 ホオジロ (2018.10.16 山中湖:山梨県)


 焼き魚

 山中湖のマンションでは魚を焼かない。
 肉も焼かないし、揚げ物も一切しない。
 いったい何を食べているんだ?とのご懸念にはおよばない。
 なんとか生きている。

 今回は焼き魚を食べるために横須賀の自宅に帰ってきたようなものだ。
 今日はサンマのはずだったが、二晩続けてアジの干物になった。
 ニャンとも口惜しいから俳句にしてやった。
 …って、冗談です>ガンコちゃん。

 ここ三カ月ほどの間ずっと泣訴し続けていたレンコンの挟み揚げを、今日やっと食べた。
 美味だった。

 明日は山中湖に帰る。
 またひもじい暮らしが始まる。



 ホオジロ (2018.10.16 山中湖:山梨県)


 (2018年10月19日 横須賀にて)


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ホ句の秋

2018/10/19 Fri

    風のやうにあそぶ虚と実ホ句の秋

        (かぜのようにあそぶきょとじつ ほくのあき)


    バーチャルに実ありけりホ句の秋 /むく

        (ばーちゃるにまことありけり ほくのあき)



 エゾビタキ? (2018.10.16 山中湖:山梨県)


 ホ句の秋

 「ホ句」の本来の意味は発句(ほく;ほっく)。
 和歌の上句(かみのく)、つまり五七五七七の最初の五七五である。
 発句が独立して俳諧と呼ばれるようになり、やがて明治時代になって俳句と呼ばれるようになった。
 今日では、「ホ句の秋」のホ句は俳句を意味する。
 しかし私は、ホ句の秋をもっと広く、芸術の秋、文化の秋のことだと解している。
 もっと言えば、ホ句の秋とは、そのような気持が強くなる秋そのものを指す詩語、だと思っている。
 短くて実に俳句向きの言葉だ。


 (2018年10月19日 横須賀にて)


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鹿の声

2018/10/18 Thu

    湯灯りの消ゆれば近し鹿の声 /むく

        (ゆあかりのきゆればちかし しかのこえ)



 エゾビタキ? (2018.10.16 山中湖:山梨県)


 越冬

 所用あって横須賀の自宅に戻った。
 山中湖から御殿場に出ると、開けた車の窓の外が嘘のように暖かい。
 着ていた薄手のセーターを脱いだ。

 御殿場の人たちは「山中湖に登る」と言う。
 海抜約450メートルの御殿場からみれば、海抜約千メートルの山中湖は確かに「登る」なのだが、湖に登るという言い方が初めは妙な気がした。

 今年の冬、御殿場で一番寒かった朝の気温は氷点下9℃だった。
 同じころ、山中湖は氷点下20℃になったという。
 今さらだが、山中湖の寒さを嘗めていたようだ。

 炬燵に入っているだけならさして問題はなかろうが、越冬して夜明けの富士山を撮りに行ったり、冬の野鳥を観に行ったりとなると…。
 と、今さら弱音を吐いても仕方がない。

 仔細あって、山中湖の寓居の防寒対策室内工事は止めにした。
 別の方法で越冬に挑戦?することにしたのだが、その話は近々また改めて。

    一の湯は錠の下りけり鹿の鳴く /小林一茶



 冠雪富士 (2018.10.17 山中湖:山梨県)


 (2018年10月18日 横須賀にて)


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いのこづち

2018/10/17 Wed

    ゐのこづち払ひ落とすも妻頼み /むく

        (いのこづちはらいおとすも つまだのみ)



 エゾビタキ? (2018.10.16 山中湖村:山梨県)


 いのこづち(猪子槌、牛膝)

 きょうは最後にまとめて一回だけ払い落した。

    少年の黄のシャツ酸ゆし牛膝 /児玉悦子


 エゾビタキとコサメビタキ

 エゾビタキとコサメビタキはとてもよく似ている野鳥で、浅学の私には識別がむずかしい。
 写真はエゾビタキかなぁ、と思うのですが…。



 エゾビタキ? (2018.10.16 山中湖村:山梨県)


 (2018年10月17日 山中湖にて)


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冠雪富士 / 富士冠雪 / 霧深し

2018/10/16 Tue

    湯仲間や冠雪富士を見てきしと

        (ゆなかまや かんせつふじみてきしと)


    富士冠雪ありて曙光を待ちきれず

        (ふじかんせつありて しょこうをまちきれず)



 冠雪富士 (2018.10.16 山中湖:山梨県)




    富士見んと出でて山湖の霧深し

        (ふじみんといでて さんこのきりふかし)



 冠雪富士 (2018.10.16 二十曲峠:山梨県)




    朝霧の上へ冠雪富士を見に

        (あさぎりのうえへ かんせつふじをみに)



 冠雪富士 (2018.10.16 二十曲峠:山梨県)




    冠雪富士星を仰ぎつ待ちゐしと

        (かんせつふじ ほしをあおぎつまちいしと)



 冠雪富士 (2018.10.16 二十曲峠:山梨県)




    富士冠雪かすかに見ゆる連嶺も

        (ふじかんせつ かすかにみゆるれんりょうも)



 冠雪富士 (2018.10.16 二十曲峠:山梨県)




    とめどなし富士冠雪の日の夢想 /むく

        (とめどなし ふじかんせつのひのむそう)



 南アルプス連峰を望む (2018.10.16 二十曲峠:山梨県)


 (2018年10月16日 山中湖にて)


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富士冠雪

2018/10/15 Mon

    富士冠雪庭師の松葉敷くさなか /むく

        (ふじかんせつ にわしのまつばしくさなか)



 アオゲラ (2018.10.08 山中湖村:山梨県)


 敷松葉(しきまつば)

 今日は富士山が初冠雪したという。
 天候が悪く、残念ながら私はまだ見ていない。
 富士冠雪は秋の季語だが敷松葉は初冬の季語で、拙句は季またがりではある。

 敷松葉とは、苔などを霜から守るため、また風情を楽しむために、庭に松などの枯葉を敷くこと。
 11月ごろ、主に寺院や茶席の庭で行われる。

    かいま見て松葉敷きあり燈籠あり /鈴木花蓑

    木戸を押す今日の客あり敷松葉  /富安風生



 アオゲラ (2018.10.08 山中湖村:山梨県)


 (2018年10月15日 山中湖にて)


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秋時雨(あきしぐれ)

2018/10/14 Sun

    糢糊として山蘆を出でず秋時雨

        (もことしてさんろをいでず あきしぐれ)


    昼夜と二度も湯殿へ秋しぐれ

        (ひるよるとにどもゆどのへ あきしぐれ)


    秋しぐれ大浴場に一人きり /むく

        (あきしぐれ だいよくじょうにひとりきり)



 シジュウカラ (2018.10.10 山中湖村:山梨県)


 秋時雨

 この数日は曇っているか降っているかの天気で、散歩に出るのにも傘を手放せない。

    どの樹下も鹿ゐて秋のしぐれかな /北澤瑞史

    にはとりも歩めば音す秋しぐれ /磯貝碧蹄館

    犬にのみ許す心や秋時雨 /草間時彦



 シジュウカラ (2018.10.10 山中湖:山梨県)


 (2018年10月14日 山中湖にて)


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鹿

2018/10/13 Sat

    侘住ひ佳賓のごとく鹿の来る

        (わびずまい かひんのごとくしあのくる)


    鹿の目の吾子の眼に似てかなし

        (しかのめのあこのまなこににて かなし)


    幼子の悲痛の声に真夜の鹿 /むく

        (おさなごのひつうのこえに まよのしか)



 小雀(こがら) (2018.10.8 山中湖村:山梨県)


 鹿

 鹿の写真を一向に撮れないでいる。
 写ってはいるのだが、お見せできるような代物ではないという意味である。

    がりがりとこする音して鹿のゐる /岸本尚毅

    かりんの実のそりと鹿のゐたりけり /岸本尚毅

    自転車に子供を乗せて鹿の中 /岸本尚毅


 岸本 尚毅(きしもと・なおき:1961年1月5日~)は、岡山県出身の俳人。東京大学卒。赤尾兜子、波多野 爽波に師事。爽波の死去後は特に高浜虚子に学ぶ。同じ爽波門の田中裕明とともに若くして注目され、写生派の俳人として定評がある。2014年現在「天為」、「屋根」同人。(引用:Wikipedia-岸本尚毅)


 山雀(やまがら) (2018.10.8 山中湖:山梨県)


 (2018年10月13日 山中湖にて)


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黄落期(こうらくき) / 秋の山

2018/10/12 Fri

    黄落期富士五合目に始まりし

        (こうらくき ふじごごうめにはじまりし)


    秋の山紅陽の富士見ゆるかと /むく

        (あきのやま こうようのふじみゆるかと)



 赤の時間 (2018.10.7 二十曲峠:山梨県)


 岡田紅陽(おかだ・こうよう)

 忍野八海があることで知られる山梨県南都留郡忍野村。
 その忍野村にある「岡田紅陽写真美術館」は、忍野に行かれたらぜひ足を運ぶことをお奨めしたい場所だ。

 紅陽がどんな写真家だったのかを私自身が偲ぶ手掛かりとして、年表をまとめてみた。
 (長いので記事の末尾に置く。)
 紅陽の輝かしい業績の数々は後から知ったことで、私が初めに感銘を受けたのは紅陽の作品そのものであり、彼の執念だった。

 紅陽は忍野に仮庵を作って、気温が氷点下15℃ほどになる厳寒の冬もそこで過ごした。
 雪の中も厭わずに、重い撮影機材を担いであちらの山こちらの山と苦労して登った。
 褞袍(どてら)を羽織って手拭いで頬かむりして撮影に出かける紅陽を、村の人たちは「紅陽さん」と呼んで温かく接した。

 彼が50年余りにわたって乾板や銀板、黎明期のフィルムで撮った富士山写真の枚数は、約40万枚。
 紅陽の時代にも、世の中は次第に進歩し、便利にもなっていった。
 しかし、今とは比べものにならない撮影の苦労を半世紀余りにわたって続けたということだけでも感動に値する。

 紅陽の名が一般大衆にまで広く知られるようになったのは、何といっても富士山を撮った作品「湖畔の春」(本栖湖で撮影)が紙幣の図案に採用されたことだろう。
 その富士は、あなたの財布の中の千円札の裏側にある。
 旧五千円札もそうだった。
 紙幣の図柄(デザイン)なので、実際の写真とは異なるが。

 忍野は、紅陽に富士山の写真撮影をライフワークとすることを決意させた地である。
 またその後、富士山を撮り続けるために、紅葉が常にホームグラウンドとした地である。
 
 ・私の憧れをもつ富士山は、私のカメラをとおしての絵であり、詞であり、音楽であり、信仰であり、そして生活でありたい。(岡田紅陽:1940年)

 ・一枚として同じ富士山は写していません。ましてや心の富士山は撮りえておりません。(岡田紅陽:1959年)

 ・富士山と私のめぐり会いは、大正三年の春であった。彼女を写し、あしかけ五十数年、それ以来富士に魅了され、今も尚限りない情愛を注ぎこむ。はじめて私が彼女に接したころはとかくその形の美しさのみにこだわっていたが、富士にはいのちがあった。彼女には血も通い、息吹も躍動していた。私は彼女の気持ちの内容をつかむに悩んだ。いま私の富士は生きている。そして愛の鼓動が脈打っている。」(岡田紅陽:1966年)

 ・俺が死んだら富土の見える所へ、路傍の石を積んで埋めてくれ、何処でもかまわない…が岡田のロ癖でした。(岡田紅陽夫人ちゑ子さん)

 ・古来の富士の文学や美術が私たちの覚えの中にあり、又目に残っているところへ、紅陽の富士山の写真が新しく浮び出てひろがった。富土山から紅陽の写真を思い出し、又紅陽の写真から富士山を思い見る人も、今日は多いであろう」。(川端康成-富士霊園岡田紅陽追悼碑:1974年)

 

もしも忍野にお出でになることがあったら、
ぜひ、岡田紅陽写真美術館を訪ねて欲しい。
50点ほど展示されている紅陽の迫力ある富士山を、
一つ一つゆっくり見て欲しい。
紅陽の紹介ビデオも、
端折らずに観て欲しい。
写真を芸術に高める草分けとなった一人の男の執念を、
想ってみて欲しい。
その日、運悪く晴天の富士山に恵まれなかったとしても、
あなたは、きっと満ち足りて家路に就くに違いありません。
―― むく



 青の時間 (2018.10.7 二十曲峠:山梨県)


 岡田紅陽 (1895年8月31日~1972年11月22日)
 ・1895年: 新潟県中魚沼郡中条村(現在の十日町市)で父・龍松、母・きしの3男として生まれる。本名:賢治郎。岡田家は代々の当主が雅号を持つ山水画などの名手で、紅陽は学芸に熱心な家庭で育った。父の龍松は衆議院議員、兄正平も新潟県の初代民選知事。
 ・1903年: 富士馬車鉄道大月~富士吉田間開業。
 ・1914年: 早稲田大学予科に入学。友人に借りた小型カメラで初めて写した富士山(河口湖産屋ヶ崎で撮影)が写真展に入選。
 ・1916年: 当時はまだ電灯もない寒村であった忍野を訪ね、初めて忍野富士接して感銘。生涯富士山の写真を撮り続けることを決意。紅陽は大月から歩いて忍野に行ったらしい。風景写真を撮影するプロ写真家もほとんどいない時代だった。
 ・1918年: 早稲田大学法律科卒業。
 ・1923年: 関東大震災(9月1日)の被害状況を東京府の嘱託として撮影。写真集「関東大震大火記念写真帖」、写真集「東京震災写真帖」。
 ・1925年: 写真スタジオを設立。ライフワークとなる富士山撮影をはじめとする山岳写真、風景写真を撮影。ライカ社が「ライカⅠ」を生産開始。
 ・1925-1927年: ヨーロッパと南洋の見学旅行。
 ・1927年: イギリス、アメリカ、ドイツ、フランス、イタリアの元首に大型の富土山写真を贈呈。
 ・1929年: 著書「写真の知識」出版。富士山麓電気鉄道(富士急行の前身)大月~富士吉田間 (23.6km) 開業。
 ・1932年: ツァイス・イコン社が「コンタックスⅠ」を発売開始。
 ・1934年: 写真集「国立公園十二勝」出版。
 ・1932-1934年: 写真集「岡田紅陽の富士百影作品集」(第1~10集)出版。
 ・1934年: 東京~富士吉田間に臨時列車「高嶺」直通運転開始。
 ・1936年: イーストマンコダック社が写真用カラーフィルム「コダクローム」を発売開始。
 ・1937年: 紅陽に献身的に尽くした生涯の伴侶、ちゑ子夫人と結婚。デュフレックス社が一眼レフカメラを発売開始。
 ・1939年: 写真集「台湾国立公園写真集」出版。「富士写真協会」創立、会長就任。
 ・1940年: 写真集「富士山」出版。
 ・1941年: 小西六(コニカ)が「さくら天然色フヰルム」を発売開始。
 ・1943年: 富士山写真作品1点を昭和天皇に献上。
 ・1944年: 「目本観光写真連盟」設立、理事長就任。
 ・1945年: 第二次世界大戦終結。戦災によってそれまで撮影したガラス乾板やネガの大部分を失う。
 ・1947年: 渋谷区上通に写真スタジオを経営。
 ・1949年: 厚生省国立公園中央審議員委嘱。
 ・1950年: 郵政省審議会専門委員任命。
 ・1952年: 社団法人日本写真協会を創設、常務理事就任。旭光学(ペンタックス)が一眼レフカメラを発売開始。
 ・1959年: 写真集「富士」出版。日本光学(ニコン)が「ニコンF」を発売開始。
 ・1960年: 富士山麓電気鉄道が富士急行に社名変更。
 ・1961年: 著書「富士山」出版。
 ・1962年: 全国養老福祉施設に自作富士山写真百点を寄贈。
 ・1964年: 東京オリンピック。
 ・1965年: 写真集「富士山」出版。
 ・1966年: 勲三等瑞宝章受章。第8回国立公園大会で「自然に親しむ運動の功労者」として厚生大臣表彰。
 ・1967年: ナイト(騎士)勲章を受章。
 ・1969年:  中央道相模湖IC~河口湖IC開通。
 ・1970年: 作品集「富士」出版。出版記念会発起人に石坂泰三、川端康成、田中角栄、安井謙、藤山愛一郎、梅原龍三郎、林武ら。
 ・1971年: ニコンが「ニコンF2]を発売開始。
 ・1972年: 11月2日、胆嚢癌のため東京虎ノ門病院で永眠。(享年77歳)
 ・1977-1980年: 約3年間、全米13主要都市とアムステルダム(オランダ)で「岡田紅陽、富士百景(The Many Faces of Fuji)」写真展開催。
 参考:

  岡田紅陽写真美術館
  Wikipedia(岡田紅陽、他)
  FUJIGOKO CYBER CITY
  
あなたのホームページ
  国際親善交流協会(IFCA)


 岡田紅陽写真美術館 (2018.7.29 忍野村:山梨県)


 (2018年10月12日 山中湖にて)


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プロフィール

渡邊むく

Author:渡邊むく
産業技術英語通訳・翻訳者。男性。岩手県生まれ宮城県育ち。人生の大半は首都圏暮し。海外生活約10年。俳句歴:2000年より。主な発信地:神奈川県横須賀市、山梨県山中湖村。

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