秀句鑑賞-冬の綺語: 冬木(ふゆき)
2014/01/18 Sat
January 18
2014
正岡子規
横須賀や只帆檣の冬木立
帆檣(はんしょう)とは帆柱、つまりマストのこと。明治21年、二十歳の青年子規が詠んだ句。大日本帝国海軍が日本国防衛省海上自衛隊に変わっても、米海軍基地もある横須賀は今も軍港の町である。灰色の艦艇の船檣(せんしょう)が並び立つ事実は今も変わっていない。ところで、調べた折に気が付いたのだが、子規がこの句を詠んだのは冬ではないようだ。夏季休暇中に、東京(のどこの桟橋からかまでは調べていない)から船で横須賀に渡り、鎌倉方面に遊んだ折に詠んだらしい。後に俳句における写生の大切さを説いた近代俳句の始祖とも言える子規ではあるが、掲句が成立した経緯をいささか知ってみると、夏の景色を冬にしてしまうあたりに、一筋縄ではいかない曲者ぶりも窺われて面白い。(渡邊むく)
【正岡子規(まさおか・しき): 慶応3年15年(1867年)-明治35年(1902年)。愛媛県松山市出身。】

正岡子規
横須賀や只帆檣の冬木立
帆檣(はんしょう)とは帆柱、つまりマストのこと。明治21年、二十歳の青年子規が詠んだ句。大日本帝国海軍が日本国防衛省海上自衛隊に変わっても、米海軍基地もある横須賀は今も軍港の町である。灰色の艦艇の船檣(せんしょう)が並び立つ事実は今も変わっていない。ところで、調べた折に気が付いたのだが、子規がこの句を詠んだのは冬ではないようだ。夏季休暇中に、東京(のどこの桟橋からかまでは調べていない)から船で横須賀に渡り、鎌倉方面に遊んだ折に詠んだらしい。後に俳句における写生の大切さを説いた近代俳句の始祖とも言える子規ではあるが、掲句が成立した経緯をいささか知ってみると、夏の景色を冬にしてしまうあたりに、一筋縄ではいかない曲者ぶりも窺われて面白い。(渡邊むく)
【正岡子規(まさおか・しき): 慶応3年15年(1867年)-明治35年(1902年)。愛媛県松山市出身。】

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テーマ : 詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など
ジャンル : 学問・文化・芸術