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   The Forgotten Season (2018/11/09)

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むささびや山の疲れをさする夜

秀句鑑賞-夏の季語:朴散華(ほおさんげ)

2018/05/21 Mon

May 21 2018

高浜虚子

    朴散華とは希望無し誇りあり
 
 川端茅舎(1897~1941年)の「朴散華即ちしれぬ行方かな」という句はよく知られている。朴の花は天上の花とも呼ばれ、白く、大きく、幽玄である。高い朴の木の上枝に下枝にと咲いた天上の花がいつの間にか散って消えてしまった喪失感は、確かに大きい。とぼけた詠いぶりゆえに悲しみを誘われる。
 同じ時期に詠まれた「我が魂のごとく朴咲き病よし」、「朴の花猶青雲の志」の句もある。死を前にして朴の花に格別の思いを寄せていた茅舎が偲ばれる。
 本題の虚子の掲句は昭和26年(1951)の詠とされる。茅舎が逝って4年後だが、門弟である茅舎の「朴散華(ほおさんげ)」の句は、強く虚子の頭に残っていたに違いない。
 茅舎を惜しんで詠んだと言われる「示寂すといふ言葉あり朴散華」という句もあるが、虚子の真意が奈辺にあったか私は知らない。示寂(じじゃく)は菩薩(ぼさつ)や有徳(うとく)の僧の死を意味する。
 対して本題の掲句は、むしろ晩年の虚子が自身の死を見つめる老境を詠んだものかと思う。辞書に、散華とは「①仏に供養するため花をまき散らすこと。特に、法会(ほうえ)で、読経(どきょう)しながら列を作って歩き、はすの花びらにかたどった紙をまき散らすこと。②花と散るの意で、戦死を美化して言う語。」とある。②が掲句の意味に当たらないことは無論である。
 間違った解釈かもしれないが、掲句には、生涯をホトトギスに賭け、未曽有の俳句文化を築いた稀代(きだい)の怪物虚子が、来し方を振り返ると同時に、自らの人生の花道を己の手で最後まで散華する秘かな決意を託した句と言えないだろうか。「誇りあり」はそういう意味に取れよう。
 「希望無し」は投げやりに吐いた言葉ではなく、古武士のごとく自負を包んだ言葉と読み解かなくては、句意を解することが出来ない。眩いばかりの境地である。(渡邊むく)

 【高浜虚子(たかはま・きょし): 明治7年~昭和34年(1874~1959)、愛媛県松山市生まれ。「ホトトギス」を主宰し、今日に直結している俳句文化の礎を築いた。】



朴の花




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秀句鑑賞-夏の季語: 蝸牛(かたつむり)

2017/06/21 Wed

June 21 2017

甲斐遊糸

    老いてゆく驚きの日々かたつむり
 
 紫式部も光源氏をして「さかさまに行かぬ年月よ、老いはえ逃れられぬわざなり」(源氏物語:若菜下)と嘆かしめているように、私たちは老いも死も避けられないものだと知って生きている。しかし、現実に老いを実感した時の落胆がそんな知識によって克服できるものではないことは、芭蕉に「この秋は何で年寄る雲に鳥」の句がある通りである。掲句にはその芭蕉の句を本歌取りした感が漂う。「何で年寄る」を一歩踏み込んで「おどろきの日々」と詠んだ作者の素直な感性は質が高い。老化にも段階があるが、作者は初めて老いを自覚しておどろいているのではなく、老化が進んだことにおどろいて(みせて)いるのだろう。かたつむりという自嘲的な比喩は、裏返せば、作者にはまだまだ心に余裕があり強い自負があることを語っている。老いを自らも受け容れ他者にも語ってゆく心の過程はデリケートなものだ。(渡邊むく)

 【甲斐遊糸(かい・ゆうし):昭和15年(1940年)、東京生まれ。大野林火に師事。「湧」主宰。富士宮市在住。『紅葉晴』(角川書店)】



ガクアジサイ



カネやモノでなく、未来の大人たちに豊かな心の大切さを伝えられる私たちに。(渡邊むく)


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秀句鑑賞-夏の季語: 蟻(あり)

2014/11/07 Fri

November 7 2014

五島瑛巳

    原子炉に蟻一匹の息づかひ
 
 原子炉にも蟻はいるだろうか?原子炉と蟻とは突飛な組み合わせだが、炉内にはいないとしても建屋内にはあちこちにネズミも出没する由。小さな蟻はネズミよりもっと自由に出入りできるはずだが、この句は実景ではなく、現今、社会の最大関心事といっていい原発をテーマに心象風景を詠んだもの。原発の核心部である原子炉の「蟻一匹の息づかひ」に、作者はどんなメッセージを託したのだろう?蟻は作者自身の投影であろう。鹿児島の県議会が川内原発の運転再開を認める決議を行い、県知事もこれに同意したという報道に接して驚きを禁じ得なかった今日、ふと、この一匹の蟻はやり場のない声なき怒りの象徴のように思われる。「あなたもその一匹の蟻で、誰に聞こえるはずもない息づかいで無力な自分を徒らに嘆いてばかりいるのではありませんか?」と問われている気がした。(渡邊むく)

 【五島瑛巳(ごとう・えみ):昭和22年(1946年)静岡県生まれ。『車座』主宰。『月刊俳句界』2013年8月号より。】




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秀句鑑賞-夏の季語: 噴水

2014/07/22 Tue

July 22 2014

瀬下るか

    噴水の今なら越せる高さなり
 
 高く噴き上げたり、低くなったり、水の出が止まったりを繰り返す噴水。掲句は止まった噴水がまた勢いよく噴き上げる前の一瞬のチャンスを詠んでいる。しかし、実際に噴水を飛び越そうとする人はまず居まい。作者は、噴水に人生を重ねているのだろう。「今だ」、「今しかない」、「今ならまだ間に合う」と思うことが、人生にはいろいろある。(渡邊むく)

 【瀬下るか:「鴫」同人。俳誌のサロン「歳時記」より。】
 ※ 2006年に書いた鑑賞文です。インターネット上で親しく交友があった瀬下さんが「鴫」同人だったのは当時のこと。




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秀句鑑賞-夏の季語: 山法師(やまぼうし)

2014/05/28 Wed

May 28 2014

新井竜才

    山法師咲いて雲居の暮れかぬる
 
 山法師とその季節を見事に謳い上げた。ここでの雲居は雲がどっかりと座っている入梅前後の空。山法師の咲き色は白が代表的だが、大きな白い四弁の花のように見える部分は、実は「総苞片」と呼ばれる葉の一部である。他の新葉と同じような緑色をした四つの苞片が次第に白くなって、その中心に緑色の花が咲く。苞は花を包み込んで保護するのが役目だが、山法師の苞片はこれで保護の役目を果たせるのだろうかと思えるほどまっ平らである。山法師が咲く季節は一年のうちで最も昼が長いが天候は不順。白いと言ってもまっ白というほどの白さではなく、少しくすんだ白に見える印象があるのは、そんな季節のせいか。半日蔭や沢地で見かけることが多いせいか。(渡邊むく)

 【新井竜才:「銀化」所属。俳誌のサロン「歳時記」より。】




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秀句鑑賞-夏の季語: 夏の雲

2014/01/15 Wed

January 15 2014

高島茂

 韃靼に夏雲立てて蝌蚪泳ぐ

 蝌蚪は春の季語だが初夏の句に仕立てた。作者にとって、韃靼(だったん)は思い入れが深い地のようである。モンゴルか、もっと西方の地か、冬の長い地の草原が思われる。広大な景色と小さなおたまじゃくしの取り合わせはすばらしい。夏雲「立ちて」ではなく「立てて」としたところに俳諧味を感じる。おたまじゃくしが夏雲を立てたりする訳はないので、論理的にはおかしな言い方だが、非論理的であるからこそ可笑し味が湧く。「韃靼」の言葉の響きに「立てて」が呼応して硬派な句になった。考え抜いて敢えてリスクを背負い込むことを辞さない言葉を選択したところに作者の気骨も感じられる。表現者としての面目躍如の一句。作者の句集を読んだことはないが、兵隊として大陸で辛酸を甞めた記憶を昇華して詠んだ句かもしれない。(渡邊むく)

 【高島茂:~平成11年(1999年)。俳誌のサロン「歳時記」より。】



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秀句鑑賞-夏の季語: 汗

2013/11/19 Tue

November 19 2013

倉田しげる

 田舎俳人みな二等兵汗したたる

 俳句界を支えているのは何百万人と言われる俳句愛好家、つまり無名の俳人たち。「みな二等兵」とは手厳しいが、全くそのご多分に漏れない私は素直に納得することにした。納得はしたが、俳壇を風刺していると誤解されかねないような掲句のきわどい俳謔味に、汗をかいた後に飲む一杯のビールのような爽快感を覚えるには私の悟りがまだ足りない気もする。作者が気炎を吐いて言う「田舎俳人」は、自嘲も込めた泡沫俳人という意味なのだろう。地方結社の俳人という差別的な意味であるはずはない。なぜなら、作者は俳聖芭蕉を生んだ三重県に生まれそこに根を張って活躍している立派な結社の主宰俳人だからである。俳句には田舎も都会もない。二等兵で結構。日本を巡る美しい四季をひたすらに愛する心を持ち続けたい。それが作者の本心であるに違いない。(渡邊むく)

 【倉田しげる(くらた・しげる):昭和5年(1930年)三重県津市生まれ。『三重俳句』主宰。『月刊俳句界』2013年11月号より。】



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秀句鑑賞-夏の季語: 蝉(せみ)

2013/11/12 Tue

November 12 2013

伊藤八千代

 大地なほ健やかなりし蝉の穴

 季語は蝉(の穴)で夏。今年七月の『惜春』横須賀吟行会での詠。互選の時、目にした途端に鮮烈なショックが走り、深い感銘を受けた。ショックを受けたのは放射能禍に苦しむ福島の大地を思ったから。感銘を受けたのは作者の精神の健やかさに対して。蝉の穴もよくお詠みになる主宰の風人子先生の御句かと思ったが違っていた。作者がフクシマを意識して詠まれたかどうかはお訊ねしていないが、未来を生きる子供たちを思い、未来に生まれてくるあらゆる命を思う時、「なお健やかなりし」の惜辞は、胸が痛くなるほど切ない希望が込められた限りなく深い祈りとなる。ノーモア・フクシマと心から祈る。(渡邊むく)

 【伊藤八千代(いとう・やちよ):『惜春』会員。神奈川県在住。『惜春』2013年11月号より。】



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秀句鑑賞-夏の季語: 夜濯(よすすぎ)

2013/10/29 Tue

October 29 2013

蔵本聖子

 夜濯よすすぎや明日は祝賀の旅へ発つ

 季語は夜濯で夏。去る七月に横浜で行われた、高田風人子先生が主宰する『惜春』の創刊三百号記念大会での詠。温かく送り出してくれる家族への感謝と気遣いが手に取るように伝わってきて、きっと遠方からお出でになられたんだろうなぁ…と、互選の時に胸が熱くなった挨拶句である。が、そのような具体的状況を知らずに観賞しても、きりのない家事に後ろ髪を引かれながらも心待ちにしていた旅に決然と出立する、主婦である作者の心情が彷彿として余韻の深い秀句、と言えるのではないだろうか。旅行中は何度も留守家族の心配をしていたかも知れない。(渡邊むく)

 【蔵本聖子:『惜春』会員。福岡県在住。『惜春』2013年10月号より。】



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秀句鑑賞-夏の季語: 青鷺(あおさぎ)

2013/10/10 Thu

October 10 2013

与謝蕪村

 夕風や水蒼鷺あおさぎはぎをうつ

 季題は青鷺で夏。一幅の日本画を見ているような気持ちになる句で、説明は何も要らない。と言い切った後では蛇足になるが、この句について気付いたことを少し。「水」は、蕪村が居を構えていた京の町を流れる鴨川の水を想う。「水、蒼鷺の」という、助詞を省いた漢文読み下し調が、景色の清明さを一層際立たせる。「脛(はぎ)をうつ」によって、「水」は流れる浅瀬であることを表現。「脛」は足の膝から下の「すね」のことを指す。「さぎ」と「はぎ」の二つの言葉がよく響き合い、音としての言葉選びが周到である。特に好きな蕪村句の一つ。安永三年(1774年)、蕪村五十九歳の時の詠。(渡邊むく)

 【与謝蕪村(よさ・ぶそん):享保元年(1716年)-天明3年12月25日(1784年1月17日)。摂津国東成郡毛馬村(せっつのくに ひがしなりごおり けまむら)(現大阪市都島区毛馬町)生まれ。】



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プロフィール

渡邊むく

Author:渡邊むく
産業技術英語通訳・翻訳者。男性。岩手県生まれ宮城県育ち。人生の大半は首都圏暮し。海外生活約10年。俳句歴:2000年より。主な発信地:神奈川県横須賀市、山梨県山中湖村。

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