摘むよりも休憩長し自家用茶

郭公(かっこう) / 夏鳥

2018/05/23 Wed

    白湯甘しかつこうの鳴く前に覚め

         (さゆうまし かっこうのなくまえにさめ)


    朝餉より夏鳥大事一万歩

         (あさげよりなつどりだいじ いちまんぽ)


    夜の明けてかつこう日の暮れてかつこう /むく

         (よのあけてかっこう ひのくれてかっこう)



 黄鶲(きびたき) (2018.5.22 山中湖:山梨県)


 2018年5月22日 (晴れ)

 東南アジアから渡ってくる夏鳥のキビタキ。
 標高千メートルの山中湖は少し寒すぎるのでは?などというのは要らない心配なのでしょう。
 どこに行っても美しい鳴き声が聞こえます。
 健気ですね。



 黄鶲(きびたき) (2018.5.22 山中湖:山梨県)


 冬鳥のジョウビタキもそうですが、キビタキも横に張った枝の上に姿勢よく止まります。
 枝に逆さに止まったりすることは出来ないのでしょうね。
 ウグイスのように葉に隠れてではなく、葉のない枝に止まることが多いので、その点では見つけやすく撮りやすいと言えると思います。



 椋鳥(むくどり) (2018.5.22 山中湖:山梨県)


 何かと思って撮ればムクドリ。
 でも、新葉の落葉松のに梢に止まっている姿はなかなか。
 馬子にも衣装?
 いや、シツレイ!



 菜園 (2018.5.22 山中湖:山梨県)


 花の都公園の貸し農園に行き、菜園にサツマイモの苗を植えてきました。
 他よりも少し畝を高くしました。

 先に植えたジャガイモが、しっかり芽を出していました。
 いただいた種芋のほうがよく伸びているのは種芋が熟成されていたからでしょうか。
 買って植えた男爵の芽はやっと出たところ。

 トウモロコシも芽が出たので、被せてあった不織布を取りました。
 まだしばらく取り外さなくてもいいように、不織布ではなくマルチにすればよかったかな。
 カラス、来るなよー!

 まだ空いたままの最後の1畝は豆類を植える予定。
 まだ発芽したばかりなので、もう少し育ってから。
 それまで、あと3日ほど室内で育てます。
 (置く場所がないので、晴れた日は車の中において昼は窓を開けておきます。
 今日は雨予報だったので、屋根のあるバルコニーに置いてあります。
 雨の降りが激しくなるようだったら…一緒に寝ます。)



 五月富士 (2018.5.22 山中湖:山梨県)




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日雀(ひがら)

2018/05/22 Tue

    木漏れ日や日雀せわしき潦 /むく

         (こもれびや ひがらせわしきにわたずみ)



 日雀(ひがら)


 2018年5月21日(月) 晴れ

 朝、予約してあった歯医者へ治療に行ったガンコちゃんの帰りを待って、山中湖へ。
 サツマイモの苗10本と家で発芽させた豆の苗も車に積み込んだ。
 サツマイモの苗はすっかり萎れているが、ガンコちゃんによれば大丈夫なのだそうだ。
 豆は蔓あり絹さやえんどうと早生枝豆。
 蔓なしいんげんも、かな?
 まだやっと芽が出たばかりなので、すぐには植えられない。
 植えられるようになるまで、どこに置いておくつもり?

 今日移動するのは、道路が混雑する週末を避けたことと御殿場に用事があったため。
 御殿場の旧宅?に寄って郵便受けをチェック。
 庭の朴の木を見ると、花はすでに日に焼けたように少し茶色く錆びていた。
 山中湖の朴の花はまだこれからだろう。

 用事を済ませて山中湖へ。

 午後4時過ぎに山中湖の仮庵に到着。
 70台余り駐車できるという広い駐車場に停めた車さか外に出ると、いきなり郭公の声。
 山の郭公は五月連休が過ぎた頃に鳴き出すと聞いたことがあるが、ほぼ当たっていると言えようか。
 朴の花に加えて、郭公の写真も撮りたいものだ。



 日雀(ひがら)


 シジュウカラを少し小さくしたようなヒガラは、とにかくすばしこく、じっとしていない。
 群れで行動することが多いようだ。
 シジュウカラは胸前の黒い羽毛部分がネクタイ様の模様であるのに対し、ヒガラのそれはエプロン様。
 シジュウカラのネクタイはオスが幅広でメスは幅が狭い。

 断れない仕事が入っているので、少しづつ仕事もこなしながらの滞在になる。


 (2018年5月22日 山中湖にて)



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秀句鑑賞-夏の季語:朴散華(ほおさんげ)

2018/05/21 Mon

May 21 2018

高浜虚子

    朴散華とは希望無し誇りあり
 
 川端茅舎(1897~1941年)の「朴散華即ちしれぬ行方かな」という句はよく知られている。朴の花は天上の花とも呼ばれ、白く、大きく、幽玄である。高い朴の木の上枝に下枝にと咲いた天上の花がいつの間にか散って消えてしまった喪失感は、確かに大きい。とぼけた詠いぶりゆえに悲しみを誘われる。
 同じ時期に詠まれた「我が魂のごとく朴咲き病よし」、「朴の花猶青雲の志」の句もある。死を前にして朴の花に格別の思いを寄せていた茅舎が偲ばれる。
 本題の虚子の掲句は昭和26年(1951)の詠とされる。茅舎が逝って4年後だが、門弟である茅舎の「朴散華(ほおさんげ)」の句は、強く虚子の頭に残っていたに違いない。
 茅舎を惜しんで詠んだと言われる「示寂すといふ言葉あり朴散華」という句もあるが、虚子の真意が奈辺にあったか私は知らない。示寂(じじゃく)は菩薩(ぼさつ)や有徳(うとく)の僧の死を意味する。
 対して本題の掲句は、むしろ晩年の虚子が自身の死を見つめる老境を詠んだものかと思う。辞書に、散華とは「①仏に供養するため花をまき散らすこと。特に、法会(ほうえ)で、読経(どきょう)しながら列を作って歩き、はすの花びらにかたどった紙をまき散らすこと。②花と散るの意で、戦死を美化して言う語。」とある。②が掲句の意味に当たらないことは無論である。
 間違った解釈かもしれないが、掲句には、生涯をホトトギスに賭け、未曽有の俳句文化を築いた稀代(きだい)の怪物虚子が、来し方を振り返ると同時に、自らの人生の花道を己の手で最後まで散華する秘かな決意を託した句と言えないだろうか。「誇りあり」はそういう意味に取れよう。
 「希望無し」は投げやりに吐いた言葉ではなく、古武士のごとく自負を包んだ言葉と読み解かなくては、句意を解することが出来ない。眩いばかりの境地である。(渡邊むく)

 【高浜虚子(たかはま・きょし): 明治7年~昭和34年(1874~1959)、愛媛県松山市生まれ。「ホトトギス」を主宰し、今日に直結している俳句文化の礎を築いた。】



朴の花




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夏鶯(なつうぐいす)

2018/05/20 Sun

    夏うぐひす弓手に沿わぬ裁ち鋏 /むく

         (なつうぐいす ゆんでにそわぬたちばさみ)



 忍冬(すいかずら)


 「裁ち鋏」だと私が思っている、歯がX字状に交差している和裁用の鋏は、正しくは「羅紗切り鋏」と称するべきだという。
 理由は、U字形をした「握り鋏」も「裁ちばさみ」と呼ばれるので、両者を区別するためらしい。
 ともに「和ばさみ」と称され、和裁には欠かせない道具である。
 「羅紗切り鋏」という長い名前を嫌って「裁ち鋏」と呼ぶようになったのだろうか。
 
 その裁ち鋏(羅紗切り鋏)には、いささかコンプレックスを持っている。
 理由は私が左利きだからである。
 握り鋏は左手でもさほど不自由なく使えるのだが、裁ち鋏は使い勝手が悪い。

 裁ち鋏は、平柄(ひらえ)と丸柄(まるえ)というそれぞれ大きさの異なる二つの握り(手に持つための環状の部分)があって、丸柄に親指をかけ、他の指は平柄にかけて使う構造になっている。
 問題は、柄の内側の指と接触する部分に傾斜が付いていることである。
 傾斜は右利きの人用に付いているので、左手で使おうとすると逆手になって、特に親指の甲が当たった時には、傾斜が急なために指が痛いのだ。
 当然、切りにくいものを力を込めて切るような時には、より痛みが増す。
 最近では左利き用の鋏が市販されているようで、それを使えば問題は解消するだろうが、使うことは滅多にないので、わざわざ買い揃えようとは思っていない。

 日本での歴史は握り鋏のほうが古いらしい。
 鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮に遺されている北条政子(源頼朝の正室)の化粧具の中にも握り鋏があるそうだ。
 対して裁ち鋏のほうは、幕末前後に日本に伝わった大きな羅紗切り鋏が、その後、小型・軽量化されて出来上がったものだという。
 初めは厚手の布地を裁断する洋裁用だったものが、和裁にも便利なように改良されたと考えられる。

 10歳のときに父を亡くしてからは、母の仕立仕事一つが支えの極貧の少年時代だった。
 母が仕立物を裁断する鋏の音を毎日のように聞いて育った。

 大切な仕事道具である鋏に触れることを、母は子供たちに禁じた。
 子供たちが使うことを許されたのは、歯の切れ味が鈍ったりガタが来て使用済みとなったお古の鋏だった。

 夏になっても鳴いている鶯を老鶯(ろうおう)とも言う。
 左利きの私が使う鋏の音のように不器用に鳴く鶯もいるが、すべての鶯がそうだという訳ではない。
 不器用そうに鳴く鶯を聞くと子供の頃の我が身が思い出され、未だにコンプレックスが消えていないことに苦笑する、というだけのことである。


  第二次世界大戦で英国民を勇気づけた「夜鳴き鶯とチェロの協奏曲」(YouTube)
  ベアトリス・ハリスン(Wikipedia)

 (2018年5月20日 横須賀にて)



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十薬(じゅうやく)

2018/05/20 Sun

    十薬が嫌ひで今も俳句下手 /むく

         (じゅうやくがきらいで いまもはいくへた)



 十薬


 十薬とはドクダミのこと。
 名前の由来は十種類の薬効があるということから。
 「重薬」の漢字が当てられたりもする。
 生薬としての十薬はその開花期の地上部を乾燥させたものだそうだ。

 日本薬局方にも収録されているというありがたい十薬を、私はもっぱらドクダミと呼んでいる。
 子供の頃からそう呼んでいたからでもあるが、「十薬」の名を知ってからもそう呼び続けているのは、ドクダミが大嫌いだからである。
 気取って「十薬」なんて言うと、我ながらよそよそしい気がする。
 「十薬」も「どくだみ」も、かつて句を詠んだ記憶がない。

 野鳥を観察していて足元が疎かになり、うっかりドクダミを踏んだ時などは、その臭気にゲンナリしてしまう。
 ドクダミが嫌いな一番の理由は、もっぱら、生臭いあの匂いにあるように思う。

 だいたい、ドクダミがはびこるような場所は陰湿で、蛇でも潜んでいるような気がする。
 蛇は潜んでいないまでも、ナメクジぐらいはうじゃうじゃと居そうな気がする。
 …と、こんなことを書くのはドクダミ茶を愛用している人などには失礼極まりないことだが、嫌いなものは嫌いなので仕方がない。
 なにとぞお許し願いたい。

 俳句では「どくだみ」より「十薬」として詠まれることが多いように思う。
 これは、圧倒的に女性俳人が多くなったという俳句人口の構成の変化とも何がしか関係しているのではあるまいか?
 「十薬」の佳句も多いことは認めておこう。
 俳句界における女性の多さは、大学の英文科のそれをも上回っていよう。

 大学で政治や経済を学んでいた若かりし頃、ある日文学部英文科の教室を覗く機会があった。
 まるでハーレム状態とも言える羨むべき環境を目の当たりにした私は、進路を誤ったことを一日にして悟ったものである。
 老いて俳句に親しむようになった今は、その逆の意味で道を誤ったような気がして、日ごろ肩身の狭い思いをしている。
 「やっぱり男性がいると違います」とやさしい慰めの言葉をかけられては目尻を下げて見せるものの、番犬か良くても用心棒ぐらいにしか思われていないようで、心では泣いている。
 男性の俳句人口が大いに増えることを願って止まない。

    墓のうらに廻る /尾崎放哉

 尾崎放哉は、種田山頭火とともに自由律俳句で知られる俳人である。
 何も言っていないが、この墓のうらにはドクダミがしっかりはびこっているような気がする。
 何も言わないで私にドクダミまで想像させてしまうこの句は、凄いと思う。
 早世した俳人(享年41歳)の死生観が滲んでいるようで印象深く、好きな一句だ。

 十薬が好きになったら少しはマシな句が詠めるようになるだろうか。

    どくだみや真昼の闇に白十字 /川端茅舎



 十薬


 (2018年5月19日 横須賀にて)



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熊谷草(くまがいそう)

2018/05/18 Fri

    熊谷草水音ゆかしき宿の庭

         (くまがいそう みおとゆかしきやどのにわ)


    熊谷草軍扇の葉に母衣の花

         (くまがいそう ぐんせんのはにほろのはな)


    敦盛のいづくに隠れ熊谷草

         (あつもりのいずくにかくれ くまがいそう)


    熊谷草ひしめく源氏八百騎

         (くまがいそう ひしめくげんじはっぴゃっき)


    熊谷草諸行無常の水の音 /むく

         (くまがいそう しょぎょうむじょうのみずのおと)



 クマガイソウ (2018.5.11 鏡山苑:山梨県富士吉田市)


 富士吉田市の上吉田にある農村公園という富士山ビュースポットに、農鳥(のうとり)と呼ばれる富士山の雪形を見に行った5月11日。
 ガンコちゃんと二手に分かれ、30分ほどという約束で一人で逍遥。

 農村公園から少し下った小さな畑で、茄子苗を植えている高齢のご婦人に出会った。
 畑にはじゃが芋が植えられていて、だいぶ茎も伸び、葉もよく茂っていた。
 この辺りの標高は約840メートルで、私が借りている山中湖の貸し農園よりは200メートルほど低い。

 お訊ねすると、じゃが芋は4月初めに植えたそうだ。
 山中湖の貸し農園では、比較的早く植えられたじゃが芋でも、まだ草丈が低い。
 茄子苗は植えた人もいるが、遅霜が心配で私はまだ植えかねていた。
 現に明け方の最低気温が1~2℃まで下がった日が2、3日続いたので、植えないでいて正解だったかと思ったりもしていた。

 ご婦人が茄子苗を植えている畑からほど近い農村公園の東の山裾に、鐘山苑(かねやまえん)という大きな観光ホテルがある。
 その建物を指さしながら、ご婦人に鐘山苑の歴史などを二三お尋ねした。
 根拠がある訳ではないが、かつて、この辺りは虚子とも縁(ゆかり)のあった土地ではないだろうかという漠然とした印象を抱いていたからである。
 ご婦人は俳句のことなどはご存知なかったが、鐘山苑は古くからあるホテルだということを伺った。
 鐘山苑の方へ行ってみることにする。

 が、用もないのにホテルの中へ入って行くわけにはいかない。
 ホテル脇の細い道を通って、桂川の清流に架かる小さな橋に出た。
 橋の上で立ち止まり、水音を聴きながら今を盛りと咲いている山藤の花などを見る。
 それから橋を渡り切って、更に山の上の斜面に広がる別荘地のほうへ登り始めた。
 富士山の伏流水が豊かに湧き出す忍野八海で知られる忍野村に接するこの辺りは、別荘地として戦前から聞こえていたという場所である。

 このまま別荘地のほうへ登り続けようか、それとも川沿いを上流のほうへ行こうか…。
 どちらに行っても約束の30分以内には戻れそうもない。
 思案しているところに、作業着を着た中年の男性が一人、別荘地のほうから下りてきた。
 土地の人に違いない。

 「つかぬことを伺いますが、この辺にむかし柏木白雨という俳人が住んでおられたようなんですが、そのお宅をご存じないでしょうか?
 なんでも鐘山苑の近くだと聞いた気がするんですが。」
 「私は分からないけど、ホテルのフロントで聞けば分かるかも。
 私はホテルで働いているので、よかったらフロントまでご案内します。」
 えらい大ごとになってきた…と躊躇したが、折角なのでご厚意に甘えることにする。

 川沿いの道から小さな石段の径が分かれていて、その石段の径を男性の後について川のほうへと下った。
 「私はこのホテルの庭を管理する仕事をしているんです」と男性。

 石段の径そのものがホテルの敷地内となっているようで、径に沿った一帯には、楓をはじめさまざまな園樹が佳い按配に配置され、若葉を滴らせていた。
 三葉躑躅(みつばつつじ)と山躑躅(やまつつじ)の紅色が、痛いほど鮮やかに目に染みる。

 携帯電話が鳴る。
 ガンコちゃんからだ。
 「いま鐘山苑です。
 あと20分ぐらい、かな。」

 小さな橋を一つ渡ると、そこは完全に庭園となっていて、一樹一草非の打ちどころなく手入れが行き届いていた。
 庭園はホテルの裏手にあり、表にあたる農村公園側からはその素晴らしさを窺い知ることができない。

 「これ、ご存知ですか?」
 「熊谷草(くまがいそう)ですね?」
 「えぇ、希少な花ですが、これだけ増やしました。」
 その数、五百本から千本ぐらいはあるだろうか。
 館の壁際に設けられた石囲いの地面に、見事な群生を成して白い花を咲かせていた。
 熊谷草の名前が平家物語の一の谷の戦いで平敦盛の首を刎ねた熊谷直実に由来していることを知って観れば、群生するその白い花は、押し寄せる源氏の軍勢のようにも見える。

 「写真を撮ってもいいですよ。」
 3枚ほど撮らせていただいたが、咄嗟(とっさ)のことでもあり、何しろ闖入者(ちんにゅうしゃ)のようなものなので、気が引けてろくな写真にはならなかった。

 立派な和の内装が行き届いた館内の廊下を幾つか抜けて、フロントに案内していただいた。
 フロントの長いカウンターデスクの中には、ダークグレイのフォーマルな制服を着た若い男女のスタッフが10人ほど、一列に並んで立っている。
 一人は青い目のフロントマンだった。

 スタッフの眼が一斉に私に注がれる。
 表玄関からではなく館内の物陰から、冬ジャンパーを着てGパンを穿き、スニーカーを履いて野球帽を被り、背中にはデイパックのようなリュックを背負い、大きな望遠レンズを装着したカメラを見るからに重そうに首からぶら下げた出で立ちで、よろよろと現れた私は、相当に怪しい人物に違いない。
 表玄関の硝子の自動扉の内側には、明るい色の制服を着た若い女性スタッフが3人、背筋を伸ばし、いつでもお客様をお出迎え出来るよう礼儀正しく立っていたが、その彼女たちの視線も私に集まった。

 フロントデスクで用向きを伝えると、男性スタッフの一人がいろいろなパンフレットが置かれているラックから鐘山苑で毎年催されている俳句大会の案内が掲載されているパンフレットと大会用の投句用紙を取り出し、親切にも1部づつ分けてくださった。
 一般に、観光ホテルが開催する俳句大会は云わば私的なものであり、投句することが出来るのはホテルを利用した人に限られる。
 それは鐘山苑とて例外ではあるまい。
 が、フロントマンに乞われるまま、芳名帳に「渡邊むく」と名前を記し、住所も記入して帰る仕儀になった。
 ホテルを利用もせずに、頂戴してきた投句用紙を使ってあつかましく投句するつもりは毛頭ないが。
 柏木白雨という俳人に関する情報を得ることは出来なかったが、他に調べる方法もあろうかと思うので、それ以上は訊ねなかった。

    富士の灯のともり初めたる月見草 /白雨

    夏の夜の灯の列富士の在り処 /むく(旧詠)

 横須賀に戻った翌日、鐘山苑から「礼状」が届いた。
 お礼を伝えなければならないのは私のほうで、汗顔の至りである。
 この一文をもってお礼に代えさせていただきたい。



 鐘山苑 (2018.5.11 山梨県富士吉田市)


 鐘山苑website

 (2018年5月18日 横須賀にて)



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五月憂し / 熱帯魚

2018/05/18 Fri

    石ころを胃に詰め歩く五月憂し

         (いしころをいにつめあるく ごがつうし )


    熱帯魚シニアメニューの料理店 /むく

         (ねったいぎょ しにあめにゅーのりょうりてん)



 仕事が忙しかった若い時分、一週間毎日、昼はカレースタンドでカレーライスを食べたこともあるほど、カレーは大好きだ。
 金曜日の昼もカレーライスを食べて帰宅したところ、その夜の献立がまたカレーだったことは今でも忘れないが。

 その金曜日が旧海軍では「カレーの日」だったそうだ。
 洋上で生活していると曜日の感覚がなくなるので、カレーの匂いで「今日は金曜日」と思い出させるようにしたらしい。

 横須賀の名物になっている「横須賀海軍カレー」は、その海軍カレーのレシピを復元したものだと言われている。
 横須賀に住むようになった18年前から、いや、横須賀に縁を持つようになったそれ以前から、一度は食べてみようと思ってきた。
 が、いまだに一度も食したことがない。
 理由は、レストランの入り口に飾られている蝋細工のサンプルを見た途端に、そのボリュームに怖気づいてしまうからである。
 「多すぎたら食べ残せばいい」などと言われたこともあるが、多すぎると分かっているものを注文するようなことは自分に許せない。
 「食べ物を粗末にしないこと」と躾けられてきた世代なので、こればかりは変えようがない。

 概して、外食メニューはボリュームがあり過ぎる。
 外食メニューばかりではない。
 幾むかしか前と比べると、スーパーで売られている塩じゃけの切り身だって明らかに分厚くなった。
 少子化で縮小する食品市場の消費拡大のための窮余の一策ではないか、なとど思ったりしてしまう。
 そのくせコンビニのしゃけ弁当の塩じゃけの切り身は薄くて小さく、いわゆる「お弁当サイズ」である。

 思い起こせば、幾むかしか前に魚屋やスーパーで売られていた塩じゃけの切り身の大きさは、昨今の「お弁当サイズ」とあまり変わらなかったような気がする。
 そんな訳で、スーパーで買ってきた塩じゃけは、焼いてから半分か三分の一ぐらいに切って小分けし、何回かに分けて食べることにしている。
 決してケチだからではなく、健康のためにそうしているのだと弁解しておきたい。

 シニアメニューが充実している街のレストラン…にはお目にかかったことがない。
 句は、そういう食堂があったらいいなぁという願望から詠んだに過ぎない。
 熱帯魚に特別な意味はない。

 ヘルシーメニューの宅配ケータリングサービスを利用するようになるのには、まだ少し早いと思っているのだが。



 (2018年5月18日 横須賀にて)



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薔薇(ばら)

2018/05/18 Fri

    ばら園を訪ねたならばリルケの詩

         (ばらえんをたずねたならば りるけのし)


    その詩人死せるは薔薇の棘を刺し

         (そのしじんしせるは ばらのとげをさし)


    横須賀や薔薇の向かうに潜水艦

         (よこすかや ばらのむこうにせんすいかん)


    薔薇白し衛兵詰所址錆びて /むく

         (ばらしろし えいへいつめしょあとさびて)


 

 

 

 

 

 

 
 バラ園 (2018.5.17 ヴェルニー公園:神奈川県横須賀市)


 Rose, oh reiner Widerspruch, Lust,
 Niemandes Schlaf zu sein unter
 Soviel Lidern

 薔薇よ、おお純粋なる矛盾、
 それだけ多くのまぶたの下に、誰の眠りも宿さぬことの
 喜びよ
    (墓碑に刻まれたリルケの詩節: 訳はwikipediaより引用。)


 (2018年5月17日 横須賀にて)



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初夏(はつなつ) / 若葉風(わかばかぜ) / 母の日 / 窓若葉(まどわかば) / 茉莉花(まつりか) / 街薄暑(まちはくしょ) / 髪洗う / 愛鳥日(あいちょうび) / 片かげり

2018/05/16 Wed

    山国の遅き初夏ともしばし

         (やまぐにのおそきはつなつとも しばし)


    郵便受け空つぽにして若葉風

         (ゆうびんうけからっぽにして わかばかぜ)


    母の日の宅配留守を悔やむ妻

         (ははのひのたくはい るすをくやむつま)


    継読を廃する一誌窓若葉

         (けいどくをはいするいっし まどわかば)


    茉莉花のことなど笑みて語りし日

         (まつりかのことなど えみてかたりしひ)


    街薄暑すこし遠くの理髪店

         (まちはくしょ すこしとおくのりはつてん)


    理髪店男も髪を洗ふなり

         (りはつてん おとこもかみをあらうなり)


    理容師も野鳥が好きと愛鳥日

         (りようしもやちょうがすきと あいちょうび)


    片かげりバス待つ妣のゐるやうな /むく

         (かたかげり ばすまつははのいるような)


 
 遅い初夏 (2018.5.13 山中湖:山梨県)


 5月14日に寒い山中湖から暑い横須賀へ。
 季節を一つ飛び越してしまったような。
 溜まっていた用事の片付けも済んで一区切り。


 
 シジュウカラ (2018.5.11 山中湖:山梨県)


 (2018年5月16日 横須賀にて)



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若葉雨(わかばあめ)

2018/05/13 Sun

    針樅の林に静か若葉雨 /むく

         (はりもみのはやしにしずか わかばあめ)



 仮のネット接続場所 (2018.5.13 山中湖:山梨県)


 予報通り昼から雨。
 散歩は朝だけ。
 夜半には雨も上がるらしいが、明日朝横須賀へ帰ることにする。

 菜園のすぐそばに針樅純林がある。
 そこを抜けると忍野村。
 忍野八海にも近い。

 針樅だけの林というのは希少なものらしい。

 フレッツ光の接続は5月28日の予定。
 次に来たときも1週間ほどはこのロビーからインターネットに接続することになりそう。
 少し暖房はされているが、夜は冷える。
 午後11時になると消灯。
 
 (2018年5月13日 山中湖にて)




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プロフィール

渡邊むく

Author:渡邊むく
職業:産業技術英語通訳・翻訳者(ほぼ休業中)。男性。岩手県生まれ宮城県育ち。俳句歴:2000年より。主な発信地:神奈川県横須賀市、山梨県山中湖村。

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